我が道を行く、とは?
我が道を行く、とは。
Going my way
はたまた
独立独歩?
夫が何かの話の流れでこんな事を言った。
「俺は昔、我が道を行って人の話も聞かず大きく失敗したんだ。それからは流される様に生きていている」
現在の家族ではある私には、流されて生きている末の諦めが今と言われている様で大変癪だが、ひとまず今回はツッこまず話を進める事にする。
夫は現在55歳。バツ2。
40代入るまでは個人で設備屋をしていたらしく、その頃の事を我が道を行っていた、と話す。
補足として、夫の中では人生を成功するとは金銭的な自立をさし、やりたい事をするとは雇われではない、ということらしい。
(私とは相容れない価値観だ!)
そんなわけで、ここでの我が道を行くというのは仕事で独立して自分で経営をしている、ということを指す。
それを踏まえて
私「我が道を行くっていうのと人の意見を聞かないというのはまた別の話ではない?」
夫「いや、我が道を行くっていうのは自分の意見を最後まで曲げない事だろう」
私「そりゃ、1番やりたいと思っている大事なところを曲げてはダメだけれど、それを社会で実現するにはどんな事であれ人が絡んでくるんだから、人の意見は聞くべきなのでは?」
夫「そんな難しいことじゃなくて、やりたい事で食っていけるかどうかなんだよ。それを俺はやってたんだよ」
私「(だから、駄目になったんじゃん…)」
会話終了。
と、書いてみると私がずいぶん言葉足らずだな。
少なくとも知り合いの自分で起業している方々はとても謙虚で人の話をきっちり聞く。
もちろん判断行動は自分の責任で動くけれど、人の意見を無下にはされない。
さらにはサラリーマンや、雇われであっても自分の好きなことをしながら暮らしている人もたくさんいる。それが収入とつながっていなくても、そのバランス感覚は何か一本で立っている人より強い我が道を感じる。
あれやこれやと話したいが、口を開けば
夫の言うのはただのワガママじゃん!!!!
と、つい火を吹いてしまいそうになる。
それを結局飲み込むために会話を終了してしまう。
私も夫の話を聞く耳は遠の昔に置いてきてしまったようだ。
発展していく会話とは。
実のある話し合いとは。
話の終着点とは。
こういう時、漫画家武富健治著「鈴木先生」を思い出しては関心している。